あんまり他人に「頑張れ」ってエールは送らないなぁ、、、。
よく読んでるプロサラ阿部さんのブログ。
これすげー解るわー。
ぼくも何と言うか、普段から「頑張れ」って言葉は使わないようにしてるんだよね。
「頑張れ」って言いたくなるのって、往々にして「既に頑張ってる人」なんだよね。
だから、むしろ「頑張りすぎんなよ」か、仲の良い人には「死なない程度に頑張れよ」とは言う。
まぁ、ぶっちゃけ見出しが全てなんでここから先はもう蛇足なんで書かなくて良いかなって思うんですけど。
もう既に十分頑張ってる人に向かって(更に)「頑張れ」って言うのって、何て言うか日本語の設計バグって感じするよね。
そこはちげーだろ、って思うんで、昔から「頑張れ」って言う言葉は極力使わないようにしてます。
周りがやるべきはエールを送る事ではなく、ブレーキを掛ける事。
むしろ、周りの人間が掛けるべきブレーキを掛けてやらないと、頑張りが暴走して過労死しちゃう事の方がヤバいので、そうならないようにすべきだと思ってます。
一度判断力失ったらブレーキが焼け落ちた暴走トラックみたいなもんで、崖から落ちるまで止まれないみたいなアレになるからね。
まぁ、一番良いのは判断力失う前に頑張るのをやめる事だと思うんですけどね。
そもそもエンジニアであるなら、「頑張り」が無くても良いようなシステムを組むべき。
だからまぁ、アレよ、体育会系の根性論的なアレも嫌いなんですよね。
まぁそれはぼくがヒョロヒョロの文化系軟弱人間で根性ナシだと言う話。
同様に、体育会系根性論と同じノリで残業を求める会社とかマジで無理。
今日こんなツイートをしましたが、この話にも通じる事ですね。
ほんこれ。
— エル@個人事業ふれんず (@ellnorePZDR297) 2018年5月9日
客の業務を合理化出来るなら、その前にテメーら自身の業務を合理化できるだろと。それが出来ねーってことは、つまりそういう事。 https://t.co/mG0CvFi9kl
仕事に「頑張り」は必要ない論。
そもそも、こと仕事に関して言えば、桁外れの頑張りが無いと出せない成果って実力じゃないと思うんですよ。
頑張らずに、平常運転で出せるのが実力であるし、本来はそれで仕事が回るように計画すべきだと思うんですよ。
そして、仕事で消費しなかった「頑張り」は、スキルアップや次の仕事を確実に効率的にこなすための準備等に充てるべき。
そうして良いサイクルを生んで回して行くべき。
だと、ぼくはそう思ってるので、頑張り過ぎない事をモットーに仕事をしています。
頑張るべきは仕事じゃなくて勉強だわ。
ちょっとね、仕事に頑張り過ぎている人は、頑張りの使い方を間違えてる気がします。