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専門学校卒のぽんこつえんじにあが個人事業主になって書いているただの日記。

【読書感想文】エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか の話。

株式会社アクシアの米村さん(@yonemura2006)が公開しているブログ「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」を読んでの読書感想文です。

※思った事をだーっと書き殴ってっただけでろくに推敲もしておらず、いわゆる駄文長文と言うやつになってしまっていますが、、、。

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アクシアさんのブログ

axia.co.jp

読書感想文

始めに書いちゃうと、ぼくは米村さんの意見に対して基本的に大賛成であって、あまり面白味がないので単純肯定に関しては割愛させて頂きます。

ぶっちゃけ反対意見とかはあまり無い(もしあれば書きますが)ので、付け加えたい事とか、自分が思っている事の補足なんかをつらつら書いて行こうかと。

エンジニアは自ら学ぶべき。

いわゆるド新人や未経験者に対して、ある程度スタートラインに立たせて走り出す所までコーチングしてやる必要はあるかと思います。

しかし、この業界というのは全く新しい技術が出て来たり、今使っている言語やフレームワークも次第にバージョンアップしていく、変化の激しい業界です。 誰かに教えて貰って初めて業務に生かせる、という受け身の姿勢ではかなり早い段階で限界がやって来ます。 技術のプロとして生きて行くのなら常に「学び続ける姿勢」と言うのが何より大事だし、逆にプログラミングに関して学ぶ姿勢が無い奴はエンジニア失格だとぼくは思っています。

IT業界に入って来る以上それは絶対的な前提条件であり、もしそれが嫌なら公務員や事務職*1を目指すべきですので道の選択を誤っているのではないかと思います。

変化が激しい、と言うのがIT業界の最も素晴らしい所だと思いますし、それに追従する為には勉強は不可欠*2である、と言うのも別におかしな話ではないですよね。

学べない者は技術のプロではない。

我々はプロのエンジニアとして、専門知識・専門技術を売り物にしている頭脳労働者です。

だからこそ、エンジニアは所謂ホワイトカラー*3として、単純労働者なんかよりも高い報酬を頂ける訳です。(本来は)

つまり、「勉強するかどうか」ではなく、その結果として「高い専門性を有しているか否か」の方が本質な訳です。

ちなみにアクシアさんのブログでも(きちんと読めば)そのように書いてあります。

別に、プライベートで勉強しなさい、などとは書いていませんし、勉強を必ずしもプライベートでやる必要があるとも書いてません。 ただ、プライベートで勉強しない人に比べて、プライベート「でも」勉強する人の方が相対的に勉強量が多く、それゆえ効果が出易い、と言う経験則を述べているに過ぎませんよね。

(記事をちゃんと読まない頭チンパンジーな方々は「会社がプライベートでの勉強を強要している!!それは業務だ!!金を払え!!」とか騒いでいるようですが、、、)

能力給か、時間給か、それが問題だ。

さて、上述の通り我々プロのエンジニアというものは高い専門性に基づく頭脳労働者です。

故に、その能力と成果に基づいてそれに相応しい報酬を貰うのがエンジニアの本来あるべき姿です。

即ち、エンジニアは能力給であるべきだと思います。

エンジニアは能力給なのか?

しかし実際問題、エンジニアできちんと「能力給」としての扱いを受けている人はそういないと思います。 もっとストレートに言えば、エンジニアであってもその大半が「時間給」で働いている筈です。

固定月給制だったり、年俸制だったり、裁量労働制に基づく固定報酬(みなし残業代を含むタイプ)だったり、契約形態によって多少違う人もいて「いや俺は時間給じゃないよ」と言う人もいるかと思います*4

しかし実際には出社時間が意味なく9時に指定されたり、遅刻欠勤で賃金控除されたり、月間の最低稼働時間が求められていたりと、間接的に時間給として働いているのが実情で、単純に成果に対して報酬を頂いている人は殆どいないと思います。

(もしいたとしたら、その人は大変優秀なエンジニアなのだと思います。今の日本でそんな働き方が出来ていると言う事は真の実力者でしょう、とても凄い事です)

時間給とは何か?

時間給とは、言ってみればそれは単純労働者の仕事に対する報酬制度だと思ってます。

ここで言う「単純労働」とは、簡単に言うと人によって作業量に差がほとんど生じない*5ため労働時間と労働成果が単純比例するタイプの仕事の事です。

※ 少なくとも本記事内に於いては「単純労働」や「単純労働者」と言った場合は、この定義に則ります。

つまり、

これだけ(の時間)働いたから、報酬はいくらです。

というお話。

単純労働に関して言えば、以下のような中間式が間に埋まっているので、この相関は正しいと言えるでしょう。

これだけ(の時間)働いたから、労働成果はこれだけある(はずな)ので、報酬はいくらです。

本題とはあまり関係ありませんが、単純労働はその特徴から以下のようなメリットがあると思います。

  • 特別な訓練や知識を必要としない事が多く、人を集めるのが難しくない。
  • 労働時間と労働成果が単純比例する為、生産の見通しが立て易く、計画から大きくブレる事はない。
  • マニュアル化や機械導入によって、更に生産安定性が高くなる。

物凄く雑に纏めてしまえば、人(要員の能力)に依存する率が低い業種、と言う事になります。

能力給とは何か?

能力給は簡単に言っちゃえば時間給の真逆です。

  • 特別な訓練や専門的な知識、技術、或いは特定の免許や資格などを必要とし、そもそも要員が限られる。
  • 労働成果は単純に時間を掛ければ良いと言う物ではなく、生産の見通しが立て難く、計画通りに行くとは限らない。
  • 機械化や自動化を推進する側であり、その作業自体はマニュアル化が難しい知的生産である。

特にシステム開発に於いては、問題が出ない事の方が稀であり、要所要所で調査や問題解決が求められ、手持ちの知識や既存の技術だけで完結する訳でもありません。 臨機応変な対応が求められるものであり、ハッキリ言って予測不能であり、計画は適宜修正しながら進めていく必要があります。

頭脳労働とは、ある意味でマニュアル化とは対極に位置する仕事と言えます。*6

医者や弁護士などが好例ですよね。

ぼくの意見

どう考えても、日本のエンジニアって能力給じゃなく時間給で働いてますよね。

と言うか、別にエンジニアに限らずとも、能力給として働いている人なんてほとんどいなくてどんな形であれ時間で働いている人ばかりなのでは。

そもそも日本にはそういう制度しか存在しないと思います、法的*7な意味で。

一日八時間労働という根拠薄弱な因習が悪い。

そもそも1日8時間働くべしってのは一体何の根拠があっての話なんでしょう?

先にも述べた通り、時間給の考え方であれば、1日何時間と言う指標は役立ちます、労働成果物が労働時間に単純比例するからです。

しかし、ぼくとしてはエンジニアは能力給であると言う立場なので、1日何時間働けと言われても「何故?」としか思えません。 能力給、言葉を換えれば成果主義に於いて重要なのは「1日何時間働け」ではなくて「いついつまでに何と何が出来ていて欲しい」です。 即ち、必要なのは期日と成果物の定義であって、途中経過としての「単位日付あたりの労働時間」に何か意味があるのか?と言う事です。

1日8時間働くべきと言うのをじゃあ仮に良しとしましょう。(嫌ですけど)

でもそれであれば、必要な成果物が揃ったら「暇だったら手伝えよ」とかふざけた事を言わないで、空いた時間は自分の勉強に充てさせてくれよ、と思います。 或いは、手伝ったなら手伝っただけ、その分多く成果を挙げているのだからその分に対する報酬を追加で支払うべきです。

勉強は良いサイクルを生み出す筈。

例えば、普通に作業したら8時間掛かる作業を、一部または全部を自動化・機械化する事で短縮したとしましょう。

自動化・機械化に半分の4時間費やし、その後の実作業が1時間となった場合、トータルで3時間短縮されています。

この3時間を使って新しいツールを使って(或いは作って)みたり、自動化・機械化の手段を増やしたり、或いは次の8時間の作業の準備を進めたり。 そうする事で次の8時間の作業が4時間になったとしましょう、或いは劇的な効果があり1週間の作業が1日に圧縮出来るかも知れません。

そうやって技術力によって生まれた時間を勉強に充てて、更に技術力を身に付ける事に費やす、そうする事で更に効率化が進み、、、と良いサイクルが生まれる筈です。

まとめ

ぼくも、基本的にエンジニアは常に学び続けるべき、と思います。 ただ、実際にそれを実践するのに適した社会になっているか、というとかなり疑問なんだよなぁ、と言うのが本音です。

表題の「エンジニアはプライベートでも勉強すべきか」と言う問いに対しては、 「エンジニアはプライベートか否かに関わらず勉強すべきである」がぼくの答えです。

但し、エンジニアは学ぶ事も仕事のうちであると認められたうえで時間的束縛から解放される必要があるんじゃないかな、と思います。

おまけ

(*'▽')これも読んだけど面白かったよw

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*1:別に、公務員や事務職をバカにしている訳でもなければ、勉強が不要だと言っている訳でもないですよ。念の為、ね。

*2:どのくらいの勉強が必要かは個々人の能力に依存する問題ですし、優秀な人はちょっとの勉強で済むでしょうね、羨ましいです。。。

*3:カラーはホワイトでも職場はブラックが多い、と言うのは皮肉な話ですね。

*4:実際に、ぼくも契約形態的には固定給であり、その意味では能力給と言う扱いでした

*5:まぁ、量に差が出なくても質に差が出る事は普通にありますけどね。

*6:シンギュラリティより先、どれくらいの仕事が「頭脳労働」として生き残っていくか、と言うのはまた別な興味深いテーマですね

*7:本当の意味での能力主義的な働き方をするには、会社の就業規則レベルといった小さなレベルでどうこうしようとしても無駄だと思います。もっとそれよりも広く、法律レベルで変わらないとダメなんじゃないかと思います。