ようこそ、ここは俺のチラシの裏だ。
俺のチラシの裏であるからして、何を書いても俺の自由なのである。
父親が死にました。
書こうかどうしようか迷ってたんだけど、気持ちの整理がてら書いてみます。
最初はただの見舞いくらいのつもりだったんだけど
どこから書くべきか悩みつつ、アレなので推敲もせず書きなぐる事にします。
今年は前半結構忙しくて。
特に2月3月はプロジェクトでぷち炎上したのを何とか捻じ伏せる為、ガラにもなく高稼働で頑張ってて。 しかもこの時期、皆さんご存知の確定申告というイベントがあったりして、これも重なってクソ忙しく。
そんな折、母親から「今年帰省できないの?」という、まぁある意味いつもの連絡があって。 曰く、「お父さん入院しちゃったんだわ、近いうちちょっと帰ってこれないのかい?」みたいな。 いつもはほら、年末付近になったらこういう話をしてくるんだけど、今年は妙な時期に言い出すもんだなぁ、とは思ったんだよね。
で、まぁ色々あって、4月頃には流石に状況も落ち着いてる(というか、そこまで炎上が延焼してたらそれもう常態化だからテコ入れ必須)だろうし、ちょうどGWもあるし今は昔よりも休みの都合を付け易い。 しかも今年はデフォで10連休とか言ってるんで、調子に乗って一日二日ほど休みをくっつけて連休伸ばしてやるのも悪くないよね。
親父が入院したって言ってるけど、LINEの家族チャットで見る限り元気そうだし、去年とかちょいちょい定年退職後の海外旅行で飛び回ってたから、そんな大した事なかろう。 まぁちょいと見舞いに顔出してから、北海道グルメ旅行と洒落こむのも悪くないね。
とか甘く考えてたんだわ。
飛行機のチケットを取ったんだけど
この時点でぼくの認識としては、病院の見舞い兼グルメツアー程度の感覚だったんだけど。
4月に入ってから容態が急変した。
いや、これは俺視点での見え方で、実際には結構前からヤバかったらしい。
死因
ちな、死因はざっくり肺がん。
もともと肺だか気管支だかが弱かったクセに、結構なヘビースモーカーだったからねぇ、これはもうしょうがないね。 (両親ともタバコ吸うもんだから、ケムくてケムくて嫌なのでウチの子はみんなタバコは吸わないんだよね。ある意味いい反面教師だった説)
昨年からどうも変な咳をし始めたとかで、本人も「これはおかしい」と思ったらしく、自分からレントゲンを撮りに行ったらしい。 医療事務で働いてたので、レントゲンを観た時点で「あっ、これあかんやつや」って確信したらしい。 それまでも通院してたんだけど、どうやら「タバコすげー吸うからタバコ病やろ」って軽く診断されてたんだとか。 医療ミスとまでは言わないけど、まぁ診断はザルだったらしく、とにかく見付けた時点でもう手遅れだったんだと。
しかも、本人の所感としては「これは年内持たないかもな」と思ったらしい。
結果としては四月末まで持ったけど、令和にはギリギリ届かなかったね。
ある意味では、他界してから葬儀一切まで、嫌な事すべて平成に置いて来れたのは良かったかも知れん。
火曜日
この日が完全にヤバかったらしい。
いわゆる医者の「今夜が山です」を言われたとか。
仕事中に珍しく電話が掛かってきて(普段電話使わないので、よほど緊急の事じゃない限りメールやLINEで済ませてくれって言ってあった)、たまたまその時は時間的にも余裕あったんで電話出たんだけど。
この時点でもう親父は全然喋れる状態じゃなかったとかで、一方的に俺に何か話せって言われたんだよね。
いきなり話せって言われても何言って良いんだか解らんしそもそもそっちの状況も見えないしで。 取り敢えず、休み取って1日早く飛行機のチケット取れてたんで「一日休み取ったから、土日じゃなくて金曜日に帰るからな」って事だけ伝えた。 明確な返事はなかったんだけど、電話口に微かに呻き声みたいなのはちらっと聞こえた、気がした、よくわかんない。
その後
後から聞いた話だと、この後しばらく容態が(悪いなりに)安定してたらしい。
たぶん金曜日帰って来るって聞いて、金曜日までは頑張ろうと思ったんだろうねって話してた。
火曜日電話した時点ではもう皆ダメかと思ったらしいし、母親からは「金曜日到着したら、そのまま通夜と告別式かも」って聞いてた。
えー、ちょっと急展開すぎませんかね?
ってのが正直なところだった、ぶっちゃけ展開に理解が追い付いてなかった。
金曜日
ここからはもう何書いて良いんだか良く解らなくなってきたので、端的に事実だけ羅列する事にする。
飛行機は念のため朝ちょっと早めのを取っておいた。 が、世の中はまだ最終営業日だし、電車遅延の危険もあるので、飛行機の予定時刻に対して3時間前から移動開始する事にした。 ぶっちゃけ普段仕事に行くのに比べてとんでもなく早かったけど、今回は万一にも遅刻出来ないので半分徹夜状態で移動した。
飛行機に乗って北海道へ。
手荷物を預けてしまうと到着してからタイムロスが出るので、それを嫌って手荷物は全部持ち込んだ。 到着してから足早にナントカエアポートに乗って札幌(方面)へ。
昼頃、病院の最寄り駅について、妹の案内で病室へ。
完全に意識不明で管とか良く解んない医療機器とかが繋がれてる親父。
1~2年前に1回会ってるんだけど、見る影もないくらいガリッガリになってた。 (4月後半に入ってからもうまともに食事も出来なかったらしく、シンプルに細くなってた)
うん、エグい。
なんつーの、急に戦争映画の重たいやつ見せられた感じ。 この時点でもう脳の理解できる許容量超えてたよね。 取り敢えず理解できたのは「あっ、これもう死ぬ人だ」って事だけ。
いやいやいや、急にこんなの見せられても困るわ、って思いもあったし。 かといって、日々衰弱してってこの状態になるのを長期的に見せられた母親や兄弟の方もそれはそれでキツいだろうし。 みたいな結論出ない事が脳内をグルグルしてた。
死亡。
で。
ここ数日安定してたらしいんだけど、俺が到着した直後からどんどん容態が悪くなって、午後3時頃に死亡確認。
なんかね、とにかく俺が帰って来る事ばかり気にしてたらしく、ほとんどもう意識は無かったみたいなんだけど、おれが到着したのが解ったのか、急に頑張るのをやめたように数値が低下してったんだとか。
ぶっちゃけ俺目線ではその安定してた状態をほぼ知らないから、なんかもう亡くなる直前にギリギリ間に合った感しかないんだけど。
見舞いや看病に来てた家族親族が口を揃えて言うには「金曜日に帰って来るって約束したから、その時まで頑張って待ってたんだよ」って。
まったくさぁ、、、。
そんなん、ドラマとかじゃないんだからさぁ、、、。
その後のこと。
仮通夜
なんか、冠婚葬祭まわり全然わからないんだけど。
友引ってのだと何かルールがあるらしくて、一日ウチに置いて、明日通夜してその翌日告別式になるんだとか。
いやもう北海道到着してから2~3時間の急展開でそんな説明されてもぶっちゃけ頭入って来ねーよっていう。
あ、この時親戚の人とかいろいろ来てて、役所への死亡届とかいろいろ手続き的な事を手伝ってくれた、って言うかほぼ全部やって貰ったのよね。 この辺ほんと助かった。 葬儀屋さんとかにも何か事前に話がついてたようで、この後ずいぶんとまぁ準備良くトントン拍子に進んでった。 ぶっちゃけ成り行きを眺めてただけみたいな所ある。
で、うちに帰って、寺からお坊さんが来て、仮通夜なるものをした。
通夜に仮とかあるんだね。
お経を読み上げて貰って、何か色々とやって、何やったんだっけな。 確かアレだ、翌日からの葬式の段取りとか、見積りとか、その辺の話し合いが行われたんだ。 北海道帰る前に軽く調べた感じ、家族葬で済ませるのかガッツリ葬式開くのかで結構値段が変わり、ガッツリやる方だと100万~200万くらいかかるとか。
で、実際ウチが見積もったら、概算で150万前後って事になった。
あと、お坊さんへのお布施も別枠で50万かかったんだったかな?
都合200万。
額がエグいわ。
正直、この文化はちょっとどうかと思った。
湯灌
湯灌っていう儀式があるらしく。
遺体を風呂(というかシャワー?)に入れて綺麗にしてやるんですって。
これを専門でやる湯灌師って職業もあるんですって。
死亡確認後、家に遺体が来て、布団に寝かせてて、何だったら苦しんでないぶん「寝てるだけじゃね?」って感覚だったんですけど。
この湯灌の作業を始める時に、こう、、、思いっきり死後硬直で固まってて。
あっ、そうか、死んでるんだ・・・。
ってこの時やっと実感したというか、改めて死んだって事を認識させられたって言うか。
湯灌が終わった後は遺体も綺麗になって、死に化粧っていうの? 何かその辺の手入れもして貰ったので、その後はまた寝てるだけに見える状態が続いたんですけどね。
通夜
いわゆる葬式ってやつの当日。
お経あげてもらったり、
通夜って遺族が夜を通して線香を絶やさないようにするってルールがあるらしいのを初めて知った。
けど、最近はなんか蚊取り線香の上位互換みたいな長時間使えるグルグル巻きの線香があるので、ガチ徹夜してやる人は少ないんだとか。
言うてぼくは寝れなかったんで普通に横になりながらほぼ徹夜してましたが。
告別式
徹夜明け。
なんかもう色々あってよく覚えてないんだけど、最後にまたお経あげて貰って、棺に花とか入れて最後のお別れ。
一般参加者とかは大体ここまでで、一部親族(や、特に親しかった方々)で火葬場へ。
火葬場
ここから先ちょっと話がエグいんで、心臓弱い人はお帰り願いたいんですけど。
この火葬場が一番キツかった。
まだガチの葬式をやった事のない人の為に軽く説明しますと。 人は死んで葬式をあげたら火葬許可書ってのを出した上で遺体を火葬、つまり燃やします。 遺体を燃やすと最後に骨が残って、お骨を拾うという儀式をやって、骨壺に納めておわり。
この、燃え残った骨を箸で拾って骨壺に納めるのがこの火葬場での最大のイベントなんですけど。
骨って、どうやら燃やしてもだいたい原型を維持してるんですね。
そのままだとパーツが分かれてても骨壺に入りきらないんですよ。
で、火葬場の職員(じいさん)がサラッと言うんですよ。
職員「この棒で骨を砕いてください」
軽く言うわー、このじじい軽く言うわー!?
もうちょっと何かこう、あるやろ、あるやろー!?
で、まぁ、流石に喪主とは言え母親にコレをやらせるのはしのびねぇだろ、って事で。
一応は長男のぼくと、弟の二人で交代しながら手分けして、、、骨を砕いてました。
いやね、骨を拾うだけでも結構精神的に来る物があるんですが、どころかそれを木の杭で砕けってなかなかちょっとハードルが高すぎませんかね。
砕くといっても、そんなに力が必要なもんじゃなかったんですよ。 火葬炉で焼いたからだと思うんですが、骨っていう感じの固さがなくなってて。 ちょっと堅めの発泡スチロールって感じかなぁ。 腕力は全然要らない、女子供でも十分出来るは出来る。
ただ、これは精神的に無理がある。
普通、人間の骨なんて触れるのも初めてなのに、どころか砕けっておま、おま、。
しかも
職員「あーだめですよ、もっと細かくしないと入りきらないですから」
デリカシー is 皆無
お前、お前な、おまえ、料理教室やってるのとワケが違うんだぞお前、お前この、、、おまえ!!!
で、職員のじじいが手本のようにガッツンガッツン勢いよく骨砕いていくのね、勢い良すぎてちょっと破片飛んでるし。
おま、おま、ちょっ、お前は日常茶飯事で慣れてるかも知らんが、お前その、、、おまえ!!!
いやー、、、なんだろうね。
アレはあの職員がアレだったのか、それとも普通こんなんなのか、良く解らんので何とも言えないんだけど、色々とエグかったね。
これ、今回俺らの場合はこうして子供がいたから母親にあの作業をやらせずに済んだけど、子供のない夫婦の片割れとかだと精神持たないだろ、そう言う場合はまた別な人がやるのかな、職員は特に誰がやるとか何も言ってなかったけど。
東京へ。
ということで、平成から令和にかけて、北海道にいました。
色々あってなんかもう脳みそが考えることをやめた状態なんすよね、今。
余談。
タバコ吸う人、タバコ病とか言われても鵜呑みにしないで、変な感じがしたら何か所か病院回ってみた方がいいかも知れない。
まぁ、そもそもタバコなんか吸わないのが一番だと思うけど。